人類ははじめ、たき火や炉からあかりを得ていましたが、縄文時代頃から、土器の中に木片や油を入れて灯火器として使うようになりました。 飛鳥時代以後になると、灯籠、灯台など仏教の供灯用器が中国から伝わり、灯火器の主流となっていきました。外出時の灯火器は、古代から中世にかけて たいまつ が使われました。 鎌倉時代末期頃になると、ろうそくが寺院などに普及するようになり、室内灯火器として灯台(油使用)のほかに燭台(ろうそく使用)が使われるようになりました。 室町時代になると、文献に「灯籠、行灯、提灯」などの言葉が見えはじめ、提灯が使用されるようになってきたことがわかります。 灯籠は据えたり、吊るしたりして移動しないものであるのに対し、行灯は油、提灯はろうそくを光源として、外で移動用に使用するものでした。行灯は文字通り、もともと外へ持って行く灯でした。 江戸時代に入ると、行灯は室内に置く灯火器として使用されるようになり、外で使うものとしては、武家・貴族・僧侶などの上層階級の間で夜間の足もとの照明道具や客の送迎用の灯火として風に強く、折りたためて携帯に便利な提灯が広まりました。(注1) 提灯は元来、中国から伝えられたものではじめは折りたたみのできない「かご提灯」だったと言われています。室町時代末期の『蜷川記』には「ちやうちんはかごちやうちん本也」とあり、中国明代の『三才図絵』に描かれているようなかご提灯がその原初期形態と考えられています。また江戸時代に書かれた書物にもこの提灯の昔の形態として、かご提灯がかかげられていることからこのような提灯が存在していた事は確かな事と考えられていましたが、その他、絵巻物などからは存在していたという証拠が見つからず、実際のかご提灯の形は定かではないのが現状です。 提灯の事が書かれた日本最古の文献は、今から約九百年前の平安末期、応徳二年の『朝野郡載』に見られます。(注2)また、最古の絵画資料は室町時代末期、天文五年の『日蓮聖人註画讃』です。ここで描かれているのは、かご提灯ではなく折りたたみ可能で、しかもかご提灯の構造を踏襲したものでした。(注3)このように折りたたみができる提灯が使われるようになるのは、室町時代末期のころで、当時は葬列のなかの一員として提灯をぶら下げていて、仏具的な役割も果たしていました。形態は近世以後のものとは異なり、上下の張輪が無く、底板から二本の柱が立ちあがり、頭に把手部分のついたしっかりした構造になっていました。 安土桃山時代から江戸時代はじめ頃に、祭礼や戦場での大量使用などが要因となって技術革新がなされ、柱無しの軽くて携帯に便利な簡易型へと発展を遂げました。 最初は安定性の低い、張輪の無い提灯でしたが、次第に張輪のある形が一般的となり、使いやすい灯火器として庶民層に広く普及していきました。 江戸時代中期以降、提灯文化は飛躍的な進歩を遂げ、その用途に応じてさまざまな展開を見せはじめました。また、灯りをともす用具としての役割だけでなく、祭礼や装飾あるいは玩具など、私達の身近な暮らしに欠かせないものとなりました。(注4) (注1) 「ちょうちん大百科~伝統の技と美~」 岐阜市歴史博物館・岐阜新聞・岐阜放送 (注2) 「岐阜ちょうちん あれこれ百問百答」 小島 幸一・小島 力著 (注3) 「ちょうちん大百科~伝統の技と美~」 岐阜市歴史博物館・岐阜新聞・岐阜放送 (注4)「ちょうちん大百科~伝統の技と美~」 パンフレット 岐阜市歴史博物館・岐阜新聞・岐阜放送 |